今度はすっかり禅にはまってしまいました。ひろさちや氏の「禅がわかる本」から始まり、随分読みました。禅の本は面白く、その世界に興味津々でした。
ちょうどその頃、禅の特別展などいろいろな場所で開催されていました。白隠禅師250年遠諱記念の展覧会は、少し禅の知識が増えた頃だったので大変楽しめました。2回行きました。
本でしか見られないようなものを大量に目の当たりにし興奮しました。まさにアイドルのグッズが並べられた展覧会のように。
超有名な慧可断臂図や、一休禅師の吹いた笛だとか茶碗だとか、もう死ぬほど嬉しく、クラクラしました。
私にとってどれもこれもキラキラしていたのですが、トークイベントでお坊さんが「地味な展覧会」というような表現をしていらして、ハッとしました。ああ、そうか、客観的にはそうなんだ、と。私には宝石級の輝きだったのですが。
偶然、龍雲寺で白隠禅師の書画の展覧会があると知り、すぐに出かけ見てきました。普通の畳の部屋にかかった掛け軸をじかに生で見られて、こちらも大興奮でした。
そのほかにも仙厓禅師などいろいろな禅画の展覧会をみる機会に恵まれました。
これは、一体どういうことなのでしょう。興味を持ったからそういう情報に気づくようになっただけなのでしょうか?こんなに禅の展覧会が満載な時とちょうど重なるものでしょうか?
私はこんな風に考えます。興味を持ったから情報に気づくようになるというよりも、自分が情報をどんどん引き寄せているのだ、と。
そうでなければ、いろいろなことは説明つかないように思うのです。


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