あの時ああすれば、こうならなかったのに…
そう思うことは山ほどあります。あの時もっと勉強方法を考えていればあの大学に落ちなかったのに…だとか、あの時ゴロゴロ寝てないでもっとイラスト技術を磨いていたら今頃違うことになっていたんじゃないのか?だとか、時々思います。
人生の大事な時期になぜ自分はそれをしなかったのか、と悔みます。反対に、それをしたから良いふうになった、ということもあります。
今思うのは、それはそういうふうに調整されていたのではないか、ということです。なんというか、遊園地のアトラクションで、乗り物に乗って、探検するみたいなものがありますが、あれの複雑バージョンではないのかと。
アトラクションのようにもう決まったレールがあるんじゃないかと思うのです。そんなことを言うとあなたは「そんなレールを敷かれた人生はいやだ!」とお思いでしょうね。
でもそのレールは遊園地のように単純なものではないのです。まるで敷かれているとは思えないものなのです。だとしたらどうでしょう?逆に良いように思えませんか?安心すらしませんか?
レール上を進んでいるのですが、自分では決まったレールの上を進んでいるように思えないのがこの人生なのではという気がします。だからわからないし、ハラハラするし、嬉しかったり、悲しかったり、悔やんだりもする、そういうものなのではないのかと最近よく思います。
そして、このままいったらレールから外れてしまう!というときに調整が入るのではと思います。それが、勉強方法をちゃんと調べなかったことであり、ゴロゴロ寝てばかりいたことであるのでは。
自分でも分かっていたはずですよね。そういうことをやっていればどうなるかってことが。でもそれができなかった、というのはその先のレール上にはない人生だったので調整されたということなのではと思うのです。言い訳みたいですが。
「そうか!決まってるんなら、じゃあ寝て暮らそう!」としようとしてもそれがレール上から逸脱しそうな場合は調整が入るはずです。寝て暮らせないと思います。でもそれがレール上に合うことなら寝て暮らせるんだと思います。
じゃあいったいどうすればいいのでしょう。この世は自分の意識です。そしてレールが敷かれているのなら、安心して自分の意識と向き合えばいいのではないでしょうか。
アトラクションの乗り物に乗っているように、進んでいくその時々に見えるものを見て、その瞬間に感じることをそのまま受け止めて、進む先をドキドキしながら待てば良いのでは、と思います。


コメントを残す