これまで書いたように複雑なレール上を進んでいるわけで、自分がハンドルを操作していると思っているけれどそうではない、アトラクションの乗り物のように進んでいるのでしょう。
肩に力を入れてハンドルをぎゅうっと握って必死に回したりしていたけれど、もうハンドルから手を離してもいいのだ、と思えます。自動で動いているのです。肩透かしをくらいます。
それは力を入れてハンドルを握っていたからこそ。でもそうしていなければ、ハンドルから手を離すということがわからなかったでしょう。それでもまだやはり少し怖く、陽気にバンザイしながら乗っていられるわけではないのです。
ハンドルからただのつかむバーに変わったという感じです。もう自分が無理やりコントロールしなくていいという安堵感はあります。場面ごとにバーを握ったり、離したり。握り続けていなければならないものから少し自由になった気がします。
そして、周りの出来事や人々を見る時、それは自分だと気づきます。誰かが自分の気持ちを傷つけたと思えるようなことであっても、それは自分の意識であり、自分なのだ、と思えます。誰かは自分なのですからね。
おかしなことを言っているようですが、そう考えると穏やかな気持ちになれるのです。自分ではない他者が自分を傷つけると考えると辛い。でもそれが他者でなく自分なのだとすると許せるような気がします。
何か訳があって、そういうことを言ったりしたりしてしまったのかしら、という余裕が生まれるのです。逆に自分が誰かによくないことを言ってしまったり、したりしてしまったら、「ごめんなさい」とすぐに言いたいですね。なかなか難しいですけれど。
自分なのだから言わなくてもわかるでしょう?というのはまた違うのかもしれないという気がします。その証拠に「ごめんなさい」をいいそびれると気持ちがずっと落ち着かないですから。
でもまあ、謝らなくてはいけないとか、そういうのもコントロールなのでしょうから、そういうのも全部放してみて自然な流れに運ばれていくのがよいのでしょうね。


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