受け身ではなく

 アトラクションの乗り物で自動で進んでいるのならば、完全受け身でいいのか、という気もしてしまいますね。私もついそう思ってしまいがちです。

 いえ、そうでなく、湧き上がるものに従うので受け身というわけではないのではないかと思います。

 わかりやすい例えだと、以下にありますように、

PTAの役員決めの瞬間だったりしますね。もう、嫌でたまらないのに手をあげなくてはと自分で自分を追い込むような、もっと言うと強制的にやらせるような。

 逆らえない流れみたいなものを時々感じます。それが自分にとっていいこと嫌なこと関係なくです。もうそれは決まっているとしか思えないような瞬間があります。

 そうなるとそのように行動しなくてはなりませんから、決して受け身というわけではないのです。そのように、わからず続けていることがたくさんあります。

 空手のお稽古だって、なぜやっているかわからないのです。最初はママ友にお誘いを受け、面白そうなので始めました。でも入った空手教室はなくなりママ友はやめました。すると子供が通っていた空手の会の先生が「こちらへどうぞ」と誘ってくださり、その頃は少し興味も湧いていたので断ることなく入会したのです。

 強くなりたいと最初は思っていました。でも1年くらいでそれもどうでもよくなり、今度は美しい空手がしたいと思いました。けれども、それもまたどうでもよくなりました。

 組手という戦う形式のものがありますが、そんな戦うなんて危ない、とんでもない、興味ないと思っていたのですが、ある日組手の試合を見ていたら、これも空手なのだ、形と組手は両方つながっている、と思い、組手の練習もやってみたくなったのです。

 そして、気づいたら週2日を空手に費やし、そうこうしているうちに黒帯までたどり着きました。

 でも、やはりどうして空手をしているのかわかりません。わからないままお稽古をして、たまに試合に出て、負けながらも少し満足して家に戻るのです。

 本当に何をやってるんだ、と自分で思うのですけれど、これが自動的な乗り物の具体例かと思います。受け身のようで受け身ではなく、能動的にやるよう強いられているという感じなのかと思います。


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