この世は意識。そして何故目の前にいろいろ見えているのか、考えていました。
目の前に見えているものは私だけが見えているものだと思っています。自分の意識の中ですからね。バーチャルリアリティ用の見えない被り物をしながら生活しているようなものだろうと考えました。
すると目に見えるもの全てがバーチャルリアリティに見え、本当に細かいところまでよくできている、と感じます。感動すら覚えます。
見えるだけではなく、触った感じも本物のように…と思ったところで私は思いました。
本物って何??
本物というのは私が今まで見聞きし、触れてきたものと認識しているんじゃないのか?と。目の前のものがバーチャルなら、ずっとその中で生活していたのだから本物ではなかったわけで本物など最初からなかったのではないでしょうか。
では、目の前に見えているものは一体何なのか、と考えました。物は粒が集まったものと言われています。よくわかりませんが、その粒が集結したものに触れたり使用したりしているのです。
雲も粒々の集まりで形になっています。それと同じく、それ用の粒々でいろいろなものはできているのでしょう。固いものでもそれ用の粒々でできているわけです。
そうなると本物が何かとかわからなくなってきます。見えない粒が集まったもの、を本物と思っているわけですから。
ああ、自分の肉体さえもそのようにできているのでしょう。そしてほかの人たちも。
目の前に見えているものは何かのエネルギーが目に見える形になっているだけなのではないか、とふと思いました。物も人も。
人や物からエネルギーが出ているのだと思っていましたが、実は逆で、エネルギーが人や物やそれにまつわるいろいろなものとして現れているのではないのでしょうか。
物、人の感情や動作も、エネルギーの現れ。となるとヒステリックな上司を静観することも、躊躇なき断捨離もできるというものです。
形は見えているだけ。そこにあるのはエネルギーだけなのですから。そして、自分は意識の乗り物に乗っているだけ。その時必要なエネルギーを感じて自分の中にそれに対するエネルギーを感じればいいのでしょう。


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