ある日、禅語の本を読んでいました。弘忍が、後継者であるという証の袈裟をもたせて逃した慧能とそれを追いかけて取り戻そうとした明上座との話(詳しくはぜひ本を読むなりググるなりしてください)のところで慧能が言った言葉なのですが…
”「不思善、不思悪、正與麼の時、那箇か是れ明上座が本来の面目」(あれは善いこと、これは悪いことなど、一切思わない、きれいな心のままの時、明上座、あなたの本来の心はどうであるか)という言葉を示されたのです。”
「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」松原 哲明 (監修), 現代禅研究会 (編集) TKC出版より
この言葉を読んだ時、急に涙がこみあげました。少し怖くなり、一旦読むのをやめて、落ち着いてからまた読みましたが、やはり涙が込み上げてくるのです。
涙が湧いて湧いて、そのうち嗚咽のようになりました。そして、ふと「たどり着いた」という言葉が出ました。
”本来の面目とは、達磨大使が中国に伝えられた正法です。”
「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」松原 哲明 (監修), 現代禅研究会 (編集) TKC出版より
とその後の文にありました。
何に”たどり着いた”のだろうと、落ち着いて考えました。自分が言ったことがわからないとは不思議なことです。
これは…まったく荒唐無稽なことを言うようですが、おそらくこれが1番納得できる自分なりの解釈です。
私は生まれ変わりというのはあると思っている方で、今までに生きてきたたくさんの人生を無意識の自分は知っているんじゃないかと思うのです。そして、その中で禅に関係する人生を生きた、お坊さんだとかそれに近い人がいて、この達磨大使が伝えたという「本来の面目」を知りたかったが、どうしてもわからずに世を去った方がいたのではないかと考えました。
そして、私が読んだこの一文でその方がそれに到達できたのではないのかと…ほんと無茶苦茶なこと言っているようですが。
これは4年程前のことですが、今この一文を読んでも涙は少しも出ません。それどころか、何故そんなに涙が出たのか不思議な位なのです。
「本来の面目」、本当の自分の心というもの。もう涙は出ませんが、迷う時などこの言葉を自分自身に問うようにしています。


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